一、尾州知多郡大野村木ノ下町権田孫左衛門と申者之
商船材木を積拾五人乗寛文八年申九月大野
を出船いたし同中旬江戸江着致シ則船町問屋
井口屋久左衛門と申者支配ニ而、荷物共方々へ相渡し
船に飯米三石程積入尾張様御材木并植木数
千本積入其外千賀志摩殿内与八郎殿荷物を積
入同十月下旬ニ江戸出船致シ伊豆國下田迄参り
霜月四日出船いたし同五日三州片濱之内大山より三里程
沖へ五日之晩に吹出され大王と申邊ニ而大西風強く吹
申候ニ付何卒船懸り度碇をおろし候へ共中々海深ク
碇縄届き不申候兎や角と申内に早五六里程東之方江
吹流され申候様に覚候是ニ而は中々叶不申と存拾五人
者共元結切拂龍神祈願を掛ケ申候ヘ共次第に吹流
され八日之朝ハ帆柱を切捨申候然共帆懸ケ船よりも
早ク兔角東ノ方へ吹流され候を覚申候同十五日ニハ風
替り楫直しひたもの西之方へ行候様に覚申候其時船ニ
少も水無之候難儀仕候皆々寄合相談いたし龍泉寺
甚目寺之観音へ雨を祈り立願を懸ケ天間を請雨を
待申候其時舟頭次郎兵衛申候ニハ常に習置候事有之是
潮之水取給申候儀を傅授いたし置候と鍋に潮汲入れ
其上に桶をふせいきの不出様に蒸候ヘハ桶に露たまり
水弐升程取申候其内に立願の雨ふり水沢山に成り
申候薪ハことかき申事無之切捨候帆柱の元口も有
之大船の諸事薪に成候物色々御座候扨皆々打寄
候而飯米たばい可然と申人数拾五人ニ而一日ニ米弐升宛
給申候漸壱合四勺ツゝにて暮し居申候故力も落身も
よハリ猶以飯米無覚束候とて皆々考へ相談致シ其時
千賀与八郎殿荷物尋見申候ヘハ豆葉并葉茶御座候を
取出し米少し宛葉茶を入ぞうすいに仕候又ハあへもの
にいたし給居申候同十五日より北風吹申候十五より廿五日まで
十一日斗りひたもの西之方へ行と覚申候風替り未申ノ方へ
行クと覚申候流レゝ申内に西之方に嶋一ツ有南に壱ツ東ニ
壱ツ嶋三つ有何れ之嶋へ上り可申と御くし取候ヘハ東之
嶋へ上り可申様に御くし下り申候付則嶋へ申極月六日晝八ツ
時分に上り申候霜月伊豆國下田を出極月六日迄東南
西北江ひたもの流れしはし船之とまり申事も無之候三
十日余りニ彼嶋へ着申候夫よりてんま船に乗彼嶋の様子
見申候ヘハ何共不知人あたま出申候其人の躰ハ天窓ずん
きり眼ハ鳥の目のことく身ニハ着物なく世の常の人とは
はだへ違申候色黒く何共しれぬ者にて其恐ろしき事
生なから地獄へ行し心地にて身もひへ渡り生たる心は
更々無御座候然共ミくしに任候ヘハ其者共に此方より此嶋ハ
何と申國之嶋にて候哉と相尋候へ共言葉の通辞透と無
御座一切埒明不申候夫より我々共小船ら乗り大船へ参り候而
船よりしかた仕湊を尋候ヘハ嶋の者共又手ニ而しかた致し南
の方ニ有由ニ付漕寄セ申候ヘハ小き嶋の脇御座候付碇を四ツ
下シ繋申候処に其夜嶋の者共小船参り麻碇綱一筋切
申候ニ付此方よりも番を付居申候へ共嶋之者共夜中かゝりを
焼明七日朝嶋之者共何百人共不知数出来リ大船の荷物
小船にてうばひ取申候此方も少々ハ防候へ共久々腹一杯食物
給不申力もおとろへ暫防見申候へ共力にも難及てんま船も打
破我々共嶋にて大勢にて取廻され既に殺さんと色々手
道具有合品々ニ而向申時拾五人の者打揃大神宮を祈り
申浜に有合之石爰元ニ而十人斗リニ而持兼候様成大石に
手を懸ケ申候ヘハ不思議に此石かるゝ敷五升目程ニ覚申候故
軽々差上嶋の奴原になけつけんといたし候然処暫恐る躰
に見ヘ誠ニ難有存居申候其後七日晩より八日之朝迄かたはらに
居申候又大勢寄集り兎角少々有合之金子着類下帯
迄はき取壱人ツゝ引分ケ我々か処へつれ参候いやと申せハ
寄合而打たゝき申候セハ高く七尺斗り見へ申候力ハ随分
つよく三斗持之者日本にて大力と申者程に申事ニ候船より上り
申候濱ニ而大石取廻し御神力ニ而働を見セし故無躰に
手向ひも致し不申神力に恐れて拾五人無事にて婆靼の
者に仕われうきめにあふ難儀仕候然共かゝる情なき畜生国ニ而も
色と情上下善悪品有十五之内に色にて婆靼に心残セし者も有
浅間敷事共申も悲敷奉存候扨拾五人銘々主人を持山へ登セ
薪とらせ畑へやり草とらせ芋を植させ船着之処ニ日数十日斗リ
仕ハれ居申候此所芋より外五穀無之人の住申所共存不申候其上
何事も言葉通辞不申候又文字無之候ヘハ読書申事無
御座候何共難儀仕候又宣敷所も有之哉と嶋の内壱人
弐人ツ申合せ忍ひゝに尋申候ヘハ道三里脇ニ而家数七八軒ほと
御座候処見出し候此所之者ハ仕形にて諸事通辞候へハ所ニハ
米百石斗リ積申候船も有之様ニ申候其所の船に乗セ日本へ遣シ
可申哉と存初メの所を夜逃にいたし彼所へ拾五人なから
参り別れゝに約束仕つかハれ申候兼々約束仕候百石斗リ
入候船沖へ参り申仕度いたし候故我々共歸リ申事と嬉
敷天にも登る心地いたし悦ひ申事かきりなく弥我々
日本へ被遣候哉と尋申候ヘハ余所へ参り候其方抔乗セ
申候事成不申と高々敷申付候其時我々共申候ハ兼々約速ニ而御
座候所違へ申候かと嶋の者共恨申候ヘハ嶋の者共言訳之様ニ相見申候
扨々悲敷事に存候右之船三十日斗リ過而歸リ申如何共可致
様も無之嶋に被仕居申候然内船頭次郎兵衛酉三月頃より相
見不申主人に尋申候ヘハ畑へ行れしか見ヘ不申候由偽居申候
不思議ニ存子供たらし尋申候ヘハ年寄之物ハ働不申とて殺し
申候ハ婆靼の習ニ而親にても年寄候ヘハ山へ連行谷へなけ込殺シ
申候浅間敷事限りなく候我々共常々相語に日本ニハ金銀沢山
有之又は真鍮銅鉄何程ニ而も有之進上申度と語り
我々の内にも大分御座候と偽申候ヘハ婆靼之者共ハ何となく日本
の子供同前ニ而今度之流船にさへ色々鉄銅多ク候ヘハ偽ニ而者有
間敷と申候能々金銭抔大切なる事ハ婆靼之内に大将之女房
相つゝき申様成者之女房弐人斗銭壱文に細き縄を通し
首に懸居申候是も常ハ懸不申何にても祝事外へ出候時
懸申候如此之事故嶋之者ニ申候ハ我々日本へ被遣候ハ鉄銅沢
山ニ取参リ候而進可申候と主人共たらし申候ヘハ嶋の者申ニハ船ハ如何
と申す宜御座候ハ作リ可申と答ヘ申候鉄類ハ無之杯見候者も
なく由申ニ付初而上り候処に我々持来リ候よき其外色々
古釘抔御座候御借リ被下候ハ作り可申と語リ候日本ヘ参り鉄
類品々珍敷物共取参リ此度之恩賞にしんし可申と
偽リ候ヘハ嶋之者申ハ日本ヘ帰リ何之よしミに来んそ其時
我々申ニハ爰にハ紫檀黒檀杯御座候日本へ積参り候得は
金銀につり替に賣申事ニ候ヘハ此後ハ商にいたし折々行
通可致とたはかり申候ヘハやさしくも誠に思ひ斧壱挺借り
出し借シ申候間船作り可申候作り候ハ山の木何本成共望ミ
次第又此方之者手傅に出し候ハんと申候故酉ノ十月より作り
かゝり一日ハ山薪をいたし畑へ行船にかゝり戌ノ三月時分出来
致シ申候船之木ハ◇◇◇木にて作り立申候斧一挺ニ柄三本
拵へ山ニ而ハ長き柄又けすり申時ハ短き柄にさしかへ遣ひ申候船之
長サ八尋程ニいたし鉄類無之故かすがひニハ合釘に桑の木ニ而
致し緝のことくニ致シ留メ申候船之大釘弐本所之者ニかりのみ
に致シ遣ひ申候合釘穴ハ桑之木をけすり至極たゝき◇◇◇
山へ行木を見立申艫軸?格好よく作り申候船半分過出来の
時分大野村長吉と申者木ニうたれあはらを打折殊之外痛
ミ三十日余り看病いたわり候得共薬と申物も無御座候故終に相果
申候其節長吉婆靼の者へ能キ事申置候長吉最期之時分方便に
主人を呼寄セ追付船も出来可申候間段々御恩報シに金銀鉄其
外珎敷物色々取参りセめて御恩かへりにしんし可申と十三人
之者共常々申合居申候に私事不慮成あやまちにて只今相
果申候御恩も不返申事面目もなき仕合私替りニ十三人の衆へ
申右之品々沢山に取参り我等主人江わけて沢山に進シ可被
下と申相果申候故嶋の者共弥誠と思ひ主人を始メ嶋の者共
涙を流し申候。長吉最期に能キ事申置候故、其後より嶋の者共
我々を少シハ懇に致し申候扨又半田村五郎蔵と申者何と存
候や我々が相談に乗り不申候日本にて上手の大工共夫々之道具
にて木拵へ釘かすかひ又ハあかゝねまて張廻し楠樫の木色々
丈夫ニいたし作り立てワすか海上三百里斗り成江戸通ひ風
あらく候ヘハ船そこない人死数多有之事此度皆々細工に船
造り釘かすかひもなき木釘ニ而相釘致し木之かわを縄に
ない候而からけたる小船に乗り此中天竺のはてより千里万里とも
知ぬ海上を日本へ渡り申さんこと此中々五郎蔵ハ心得不申と合
点致し不申候十弐人の者色々すゝめ申候へ共其後よりハ船之手傅
にも不参候又五郎蔵申ニハ何国の海上ニ而も手を組合セ鮫の
餌になるとも一緒と存暮セしことなれハ是非我々か申通り日本
へ帰り候へと色替品をかへ申候へ共聞入不申皆々ハ日本へ帰り成り共
海へはまり成共勝手次第此五郎蔵ハ爰に残り少シ成共生存へ
申が世の楽ミと申兎角合点致シ不申候畜生之国ニ残し帰り
申候も不便に存出船之節ハ無理に引込ミつれかへるへくと談
合いたし出船前ニ成り候間五郎蔵を尋候ヘハ主人と談合致
しふかく隠れ逢不申候最早我々無是非若我々が工面を五郎
蔵語りもやセんと存船を急き申候五郎蔵事女房を持ぶた
犬馬牛けたものを給身を穢し申候我々ハ日本へ帰り申度
三年之内精進仕こりをとり神佛へ立願仕候五郎蔵事ハ
兎角神のとかめ故と後にハ思ひ出申候扨船も出来候故戌
三月四日十弐人寄合あたごしやうじんを始メ日本の地ハ北か
東かと太神宮之御籤取候ヘハ北之方と御くし下り申候扨亦
船出候日和四月中旬か下旬かと御籤取り候ヘハ中旬と下り
申候故日本へ渡り申候船之用意ニ入申品々
芋三十日程給申程 水桶大小八ツニ入 鍋十枚ほうろくのことく 土にて造り申候 斧壱挺則船を造り候節 くれ申候 のみ弐本是ハ古釘ニ而拵申候 小刀弐本婆靼之者細工ニ打申候 蒲の穂之様成物ニ袋 是ハ何か入申候へハとめ申候 日本へ土産ニ致シ此替リニ金銀鉄沢山ニ持参 申様ニとてくれ候品々 長弐尺斗之小船壱隻 婆靼子供持遊ひニ仕候 はた織申候ひ弐本 日本ノひニ替る事なし 着物 たはこ入十ヲ是ハやしほのからにて作り申候 やしは五十四?くわしニ仕候右之品々船ニ入申候
米七升程 やくわん壱ツ日本之とハ違申候 塩肴弐十斗 塩辛四五升 杉板弐枚船損シ候ハ、取付申用意 竹の子つけ少し 薪一把 方角磁石針 弐本 菜漬少シ 木綿着物六ツ まきたし一把 からけ付申所ニ遣ひ申様ニと 縫針五本 糸少々 長崎渡り海上のさしず絵図右之ことく念頃に致シ申事偏ニ太神宮の御蔭と又ハ
剃刀 壱挺 鋏 壱挺 縫針 壱本 糸 少シ 竹ノ子漬 少シ 米 三升程右之品々申請候殊之外念頃におしえ此処ニ逗留之内近
鍋 壱枚 木綿着物 壱ツツゝ 米 三升程 塩魚 少シ右之通くれ申候此処ニハ寺も御座候間我々共二三ケ所見物仕候
米三斗壱升入 壱俵 同三斗七升入 壱俵 味噌小樽壱 薪五束 塩 弐升 塩魚 廿右之通被下候 五嶋之内ニ廿日余リ御留置夫より長崎へ船